So-net無料ブログ作成
検索選択

地震の最悪の輪郭を見据えて [春秋庵-日々の消息を語る草庵-]

全体像がほぼ見えてきた。というより、実像はわからないけれど最悪の輪郭は見えてきた。坂本衛さんのサイトであるけれど、確かにこの三陸〜相馬までの人口と、今回の災害から類推するに、1万人では収まらず、数万人、悪くすると十万人単位の死者が出てくる可能性がある。壊滅的被害、と伝えられるが、壊滅的被害であることを伝える人もいないほどに壊滅した集落がいくつもあるはずだ。

朝日新聞のこの記事はいくら何でも心が痛い。これまでの災害なら(たとえば阪神大震災であっても)体育館やどこかに遺体安置所を設置し、身元を確認して、遺族に遺体を引き取ってもらい、荼毘に付してきた。しかし今回は物理的にそれが難しい、という記事だ。「土葬にしてほしい」という町の申し出は悲痛だが、土葬にはできまい。1000人、おそらくこれからもっと増える死者を埋葬するような土を掘り返すことは難しい。埋めても夏には悲惨なことになる。残念ながら、DNAが取れればいちばんいいけれど、形見をとって荼毘に付すしかない。昔の日本には隠亡という人たちがいた。戦後間もなくまでいたらしいが、火葬担当者のことだ。近代より前の隠亡は、戦場の後に出向いて戦死者を荼毘に付し弔ったというが、そういう人は日本にまだいるのか。いないのならどうするのか。もうそういう次元に入ってきた。

まだ助かっていない人も10000人以上いるらしい。40万を越える避難民は、同じ県で受け入れるのは不可能で、今回の震災で影響を受けなかった中日本や西日本に仮集落を今から構築し、そこに集団移住してもらうしか方法はないのではないか。もう国全体が、地方自治体が、○○村を受け入れます、という姿勢を示さないと間に合わないのではないか。繰り返すけど、これは現地で、故郷で自立して「復興」できるという次元ではない。復興するにしても、どこかに足場を作らなければ無理だ。西日本のある一帯で、仕事を含めて経済網を作り、それをまるごと東北移植し直す、といったことを考えなければ。

しかし、である。twitterとテレビを同時並行で見る日々が続いている。テレビの訴求力はやはり地震が起こった当日を頂点にすごいものがあるが、どうしても、点だ。点と点をつなぐものがみえない。すべての点をカバーしている確信もなく、点へ点へ人の目と耳を誘導する。だが、さきほどいったような、壊滅していることを伝える人すらいないような壊滅を伝えるすべはない。twitterは面としての広がりは大きいし、役に立つが、軸が見えない。

何がいいたいかというと、もうマスコミとかソーシャルメディアとかいっておらずに、両方がんがん使ったらいいのだ、ということ。この期に及んで対立的な論調は無駄。NHKの安否情報は確かに95年の阪神淡路大震災のときは有効だったけれど、今回は、googleがやっている、「各避難所に張り出されている名簿を写真に撮って送ってください」と呼びかけそれをタイプしたものにかなうわけがない。

枝野官房長官をはじめ、政府も必死にやっていると思うが、起きた危機に対応する東電の対応はいただけないし、「国民が知りたがっているんだ」といって「なんで首相が出てこないんですか」程度の質問が出てくる記者会見、批判が飛び交う言説、これまで日本を動かしてきた仕組みがもうとうの昔に機能不全になっており新たな事態に臨機応変に対応しなきゃ行けなくなっていたのにできなかったことが(自分もいまできていないのでもどかしいのだが)、これを機に変わっていくだろう。そう変えていくことが、この未曾有の戦いに勝つことだ。そう変えていかなければ、この興奮が冷めたころのたとえば財政負担であるとか、労力の負担に耐えられまい。

いやいや、いまはとにかくこの最悪の輪郭に向かって全力を尽くさないと。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

関連リンク

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。